人生

生い立ちから近況までを連ねるつもりです。

異端児誕生の流れ ~生い立ち編その4~

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Kと仲良くなったのは小学校4年のとき、私はKのグループに入りたくてひたすら付きまとっていた。ある日どうしても仲間に入れてもらいたくてKに声をかけたところ「いいよー遊ぼう」と返事があり、気持ちはワクワクしていた。だがその日Kは他の友達と出かけてしまって遊ぶ約束をすっぽかされたのだ。考えた末出た答えは「探しに行って一緒に遊ぼう」だった。友達のおばあちゃんから居場所を聞き、電車に乗って約一時間、芝公園から東大島まで一人で探しに行ったのである。土地勘も何もない私は、「とにかくゲームがある場所にいるはず」と感じ唯一あった大型スーパーまで向かった。そのゲームコーナーまで行くと、お見事。Kが友達と遊んでいるじゃないか。すかさず声をかけ遊ぼうよと言うとKはビックリした表情で「あ、ああいいよ」と私を認めざるを得なかった。それまで幾度となくハブかれ、仲間外れにされていた自分がようやく居場所を見つけたのだ。それから本格的に仲良くなり毎日一緒に遊ぶようになった。

時は過ぎ1年後、仲間の間ではリーダー的存在だったKは最先端を走っていた。ファッション、音楽、遊び とずば抜けていた。HIPHOPやスケボーを流行らせ、私もだいぶ垢抜けたと思う。KがHIPHOPを聴くのならこちらはreggaeで対抗だと言わんばかりにお互いを磨きあっていた。B-BOY誕生の瞬間である。小学校を卒業してからもスケボーは続け、日常となっていた。タバコを覚えたのもそれぐらいの頃で2個上の先輩からマルボロ(赤マル)を吸わせてもらい最初はフカシでかっこつけていた。東京タワーの公園の隅っこで隠れながらひたすらタバコを吸っていたのを思い出す。オタク気質の友達との付き合いもあったがそのころには遊んでいなかった。彼らは勉強もできて私の生活とのギャップについていけなかった。それでもアニメやゲームを忘れずに今までこれたのはありがたいことだ。かなりのゲーマーであった自分は攻略法や裏技を率先して伝えたものだ。6年生になるころにはちょいちょいアキバに遊びに行くようにもなった。当時のアキバはバスケとスケボーができる公園がありそこに悪ガキたちは集結していた。ひとつ向こうの通りはカオスなオタク街で胡散臭い連中もたくさんいた。あの有名なオウム真理教が運営してたPCパーツ屋「マハポーシャ」もそのころ全盛期であった。そしてすぐサリン事件が起こりそれと同時に世の中が少しづつ変わっていったのを覚えている。

私たちは何が今一番熱いのかつねに探し回っていた。人とは違うなにか。それを個性と信じていた。勉強も何もせず好きなことだけをしていて、親からは怒られるがそのうち何も言われなくなった。

そして気が付けば6年生となり小学校を卒業し、私は板橋へ引っ越すことになった。新天地で中学時代を過ごしたけど割とすんなり生活できるようになり、色んな中学のヤンキーたちと仲良くなった。港区へもたまに通い酒とカラオケと女とオール(徹夜して遊ぶ)を覚え、遊び人の道へと覚醒していった。ちなみに初のクラブデビューは6年生のころで、友達と2人でカルアミルクをちびちび飲んでその場の空気を感じ取っていた。周りの黒人や大人たちは気にもせず受け入れてくれて今ではありえない環境でもあった。まさかラップをやることになるとは、必然でもあり偶然でもある。

中学に入ってからはすぐに仲間ができてやんちゃする奴らともすぐ出会い楽しく過ごせていたと思う。合唱コンクール3年連続で最優秀指揮者賞も貰った。勉強は国語だけは自然と出来たが他はてんでダメで通知表も中学3年間でオール1を何度もたたき出していた。この時点で落第者となっていたが、卒業するころにはラップに興味を持ち始めた。