人生

生い立ちから近況までを連ねるつもりです。

異端児誕生の流れ ~生い立ち編その5~

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中学を卒業後、高校にも進学せず選んだ道は働くことだった。年齢をごまかしてコンビニの夜勤や派遣会社の肉体労働や飲食店の調理場など様々なバイトを経験した。パチンコも打つようになり稼いだ収入はあっさりと消えていった。なにかが物足りないと常々悩んでいた私はラップをしてみようと思い立った。リリックを早速書いてみると意外とスムーズに書けて口に出してみると韻も踏めているではないか。そのリリックをKらに見せ「ラップやんない?」と声をかけると二つ返事で乗ってきた。希望が見えてきた。ひたすらリリックを書いて何度もラップする。その行動に情熱をもって挑んでいて輝いていた。とにかく音楽でメシが食えればと思っていた。

17歳になってDJをしていたT君の紹介で六本木のクラブでライブデビューした。右も左もわからなかったがなんとかうまくできた。ラップの練習はKの近所の小さな公園でラジカセでビートを流しそれにラップを乗せて録音して聞き返しながらスキルを磨いていった。周りの目など全く気にもしないごく当たり前の日常であった。基本Kの実家が拠点でそこで練習をしていてせまい部屋に籠って何度も何度も同じ曲を繰り返し歌い新曲のテーマについてなど語り合いながら試行錯誤しつつ高みを目指していた。音楽に関しては特に大きな出来事はなかったがそれなりに麻布、六本木、渋谷、青山、新宿、池袋など都内中心にライブ活動をしていた。グループ名は「地獄突鬼(じごくづき)」暴走族みたいな名前だ。現在は活動をしていないが、タイミングでまた動き出すかもしれない。

当時の東京は今と比べると若者がかなり自由だった。なにかと規制、犯罪とレッテルづけられ監視社会になりつつある現在と比べると防犯カメラなども少なく治安こそ悪かったがそれをかわす術は自然と身についていた。ギャング、援助交際、ギャル、ミレニアム、まさにその世代である。マリファナを覚えたのもそれぐらいの時期で、音楽に行き詰っていた自分の感性を高めたいという理由で手を出した。これがまたいい。一服すると心が朗らかになり何もかもが楽しくなって平和的に感じ、食欲は増え、悩みなども消し飛ばし不思議なセンスも高まった。鬱気質だった私にとっては最高の万能薬であった。ひたすらハッピーにひたすらポジティブに音楽を楽しめた瞬間でもあった。レコードを漁ってはボング(吸引機=パイプの一種)で一服入れて目を真っ赤にしながら音から聞こえてくる色や言葉や形を想像しながらその素晴らしさに感謝していた。

これから先の文章はぶっ飛んだ感じになるけれど、それが経験でありそれが人生である。ドラッグと出会ってからの体験とそれにまつわるエピソードを語りたい。

18~23歳の時が一番色々とヤバかった。今では思い出話になるけれど決して普通の経験はしてない特殊な生き方をしていた。世間一般的には「荒れていた」という表現がしっくりくるのだと思うけどそんなことはなかった。自由を満喫していたからだ。世の中は暗い話題ばかり、無理にでも明るく見せようとする社会にほとほと嫌気がさしていた。そのヘイトをラップした曲は自画自賛レベルなのだがあまり浸透しなかった。俗にいうオナニー作品だったのかもしれない。まあアーティストの感覚はそんなものである。共感を得るというのではなく個性を伝えたいという気持ちが強くあった。