人生

生い立ちから近況までを連ねるつもりです。

異端児誕生の流れ ~生い立ち編その1~

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1983年12月22日 私は誕生した。冬至の真っ只中おんぎゃーと大きな叫び声をあげて元気に生まれた。場所は新宿のとある病院。当時ホステスだった母は20代という若さですでに兄を産んでおり、さらに自分まで産んでもらえたのでその喜びは今でも覚えている。生まれた場所が場所だけに現在38年不思議な人生を送っている。それについてはしばらくあとの話。

ここで覚えているのは2~3歳ごろからの記憶で、母の同僚のホステスさんがお守りをしてくれていたこと、とんでもなくやんちゃな性格だった私は手が付けられないほど次から次へと無茶なことをする。(おかしな行動)とも言えるのか。

当時を思い出すとかなりぶっ飛んだ子供だとつくづく思う。兄は真面目なのだが自分は相当狂ってた。まず、朝起きる日中は母は寝ていたため、一人で何をしたらいいのかわからず、早朝4~5時ぐらいの時間にひたすら砂嵐が流れているテレビ画面を見て今で思うトリップをしていて、まじまじと砂嵐の画面とザーっという音とともに何故だかワクワクしていた。そこから一人遊びをすることが得意になったのかもしれない。兄は幼稚園?に通っていたため夕方までいつも一人で何かをしていた。鏡を見ては自身に「君は誰?」と聞くと「あれ?誰だろう」という状態になり、しばらく経つと「あ、○○だ」と自分を思い出すという謎の遊びもよくしていた。

兄にはほんとに助けられたことがあって、まだ幼児なのに一人でしょっちゅう外へ出歩く自分がある日マンホールに落ちてそれを偶然兄が探し当ててくれたこともあり、そのときの嬉しさは今でも鮮明に覚えている。また、マンションのエレベーターに手が挟まり私は泣き叫びながら助けて!助けて!という事態があり母もパニック状態になってしまったときに兄は、冷静に扉を開けるボタンを押して救われたこともあった。

そんな兄もストレスが溜まっていたのか、せっかく買ってくれたたくさんのおもちゃをベランダから投げて遊ぶことを覚えてしまい、超合金ロボがひゅーと落ちてガシャンと壊れるまでの過程を楽しんでいた。きっかけを作ったのはもちろん私だが。

夜の水商売の仕事をしていた母は女手一つで男2人を育てていたのは本当にすごくて、当時の人たちはなんか人情味がありそれも支えになってたからこそそれができてたのかもしれない。3歳の自分がタクシーに一人で乗り新宿センタービルのヒーローショーを見に行き行き帰りの料金もタダにしてくれたこともあって、そのとき将来はタクシーの運転手になりたいと幼心に思っていた。現在はしがないギャンブラーだが。あと、ベッドから転げ落ちて大腿骨を骨折したときに、大泣きしながら病院に着いたときめちゃくちゃ混んでいて、先に待っていたヤクザが「おう!ガキがピーピー泣いとるんじゃ!!先に見てやらんかい!!!」と新宿らしいエピソードもあり、そのおかげで真っ先に診察してくれたのも鮮明に覚えている。