人生

生い立ちから近況までを連ねるつもりです。

注)ここからは刺激的なエピソード ~その1~

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さきに語ったとおりマリファナを覚えてからは人生観は劇的に変化した。そこで収まればいいのだが私はそうはいかなかった。刺激を求め気が付けばシャブにも手を出すようになった。主に炙りメインで注射はさすがに怖かったのでしなかった。初めて使用したときはトイレに何時間もこもりひたすら便を出そうと必死になっていた。異常な集中力がそうしたのだろう。味も悪くなく毒っぽさもなく「ああ、こんなもんなのか」といった感じだ。感覚は鋭敏になり神経は研ぎ澄まされ万能感とともに無敵感もあり高揚感もありなんなんだこれはと正直驚いた。さらにマリファナとの相性も良く、アッパーとダウナーのダブルコンビでそのスリルを楽しんでいた。キマッテ何をするのかと言ったら一日中友達と語り合ったり、音楽を聴いたり、散歩したり、ゲームにハマったりと普通の日常と変わらなかったがそれらがめちゃくちゃ楽しくなった。

ここまで聞くとそこまで悪いイメージは意外とないと思うが、シャブが切れたら非常につらかった。思考や意欲は弱りさらに追加しないと普段のテンションに戻れなくなり、変に勘ぐったり余計な妄想に走ることもあった。だが食い続けると寝れなかったのでハシシ(マリファナの樹脂を固形化したもの)を睡眠薬代わりに使い無理やり寝ていた。そのときの間がたまらなく気持ちいい。そうして起きた後ガラスパイプにシャブを盛りターボライターでパイプを転がしながら気化した煙をくゆらせ覚醒する感覚にどっぷりハマっていた。ヤク中の完成である。

Kはマリファナオンリーで私がシャブを食ってることは言わなかった。今思えばすぐわかるだろうがうまく隠し通せていた。

ガンギマリ状態でライブするのは非常に楽しかった。DJブースの裏でマリファナを吸い目の前では観客がラップを聴いている。どれだけぶっ飛んでいるいるかが当時のステータスであってその行動はドーピングそのもので、「特別な存在」でいる状態がいかにドープな作品を作れるかに挑戦していた。読書に夢中になったのもその頃か。暴力的な出来事は一切なく平和なジャンキー生活を送っていた。

そして時は経ち22歳で海外へ一人旅することになる。まずタイを拠点に生活することになった。ぼったくりもされてこれぞ旅だという感じで、一泊150円ぐらいの宿に泊まり気ままに過ごしていた。そして一週間ほどしてからドラッグを求めラオスのバンビエンに向かった。バスで2日ぐらいかかった。山岳地帯で小さな村に最高のドラッグがあると聞きめっちゃ期待しながらバスを降りた記憶がある。バンビエンに着くと一見何もない村だったのだが、そこにいる人々はどうみても好きものの集まりでさらに期待が高まった。知り合った日本人バックパッカーのAに色々と話を聞き彼の泊っているゲストハウスでぶっといジョイントのコカインソースをごちそうになりグルグル状態になり、ここはやべえと悟った。翌日Aの宿を訪ねるとAはジョイントを巻きながら「もっとすごいのあるよ」とつぶやきそれはなにかと聞くと「アヘンだよ」とニヤッと笑った。おお、まさか世界一危険なドラッグ「ヘロイン」の精製前のアヘンを経験できるとは!すぐさまやってみます!とワクワクしながらAと共に行動した。

案内された場所は普通の雑貨店で店主のおっちゃんがこっちへ来いと私たちはある部屋へ案内され「ベッドに横になって」と言われドラえもんの腕と手みたいな長いパイプを出し持つようにと指示された。そしてパイプに火をつけゆっくり吸うようにと言われそのとおりにした。なにかまどろむような感じ。甘いガムのような味がして気が付けば大量にアヘンを摂取していた。5~10分ほど経って吸い終わると、その感想は「まさに涅槃」何とも言えない感覚に陥っていた。値段は1000円ぐらいだっただろうか。その後Aと食事をして宿に戻るとベッドが非常に心地よかった記憶がある。あとにもさきにもない気持ちよさだった。

Aと仲良くなりその後も一緒に行動するのだが、一旦タイに戻り、どうしても行きたかったカンボジアへ行くとAに伝えるとしばらく別行動することになった。